産後のカラダ あれこれ 《じんましんとイボの話》
産後半年を過ぎた頃から体が変わってきた。特に皮膚。
バランス崩すと皮膚にでてくるんだわたしの命式は。
まず、じんましん。
顔の輪郭・脚・鼠蹊部から始り今じゃ胸まで痒い!
風呂に入り「痒い痒い痒いっ!」寝ようとして「かゆ~~~」発狂したように掻き毟る。
夫にムヒを塗ってもらう。
最初は虫刺されかと思っていた。蚊に絶えず刺されたような感じ。
布団をたくさん洗った。カバーも本体も枕も。でも終わらない痒み。
じんましんだわ、確信。
もうたまらない、と皮フ科へ。
蚊に刺されたようなボツボツが出て消えるものは「蕁麻疹」。
授乳中だと伝えるとタベジール錠という抗ヒスタミン剤を処方される。
一部は「蕁麻疹」でなく「湿疹」とのこと。
それにはザーネ軟膏とリンデロン(ステロイド)を配合したクリーム。
さて、この皮フ科の先生、私が住む地域で古くからあるとても有名な医師。
当時生後3ヶ月の息子の湿疹で初めて訪れた私たち夫婦は、
彼と意見が合わずそしておそらく嫌われ、頭をかかえた。
(この話も興味深いので記事にしたいな。)
そんな先生に今日は私自身を診てもらう。
(先生は私が、数ヶ月前に診察した小さな患者の母親とは忘れているとおもう。)
医院の小さな待合室には美術史、日本史、世界史、ナショナルジオグラフィックなど
先生が今昔に読み終え待合室に置いたであろう多大な布張り古本がズラーっと並べてある。
そこからわかるように仕事面でも生きる医学事典のような御方で、
皮膚のトラブルを診せるとズバリ疾患名を当ててくれそうなアカデミックな老紳士だ。
その証拠に今回の私の診療、
授乳期の薬物投与による乳汁中に含まれる成分量一覧の小さな紙を
7cmはあるだろう分厚いファイルから一発でとりだし、わたしに手渡してくれた。
1984年の資料だった気がする。(捨てたから詳しくは、今はわからない)
おお、古い。活版印刷の文字。
これは!と思いついでにささやかな悩みも提示してみた。
数年前、会社員時代にひどい湿疹になった。一過性のアトピーだと思う。
退職を機にそれは綺麗さっぱりなくなったけどなぜか後頭部の一部分が時折痒くなり
今じゃボコっとしていてそれもついでに診てもらうと「良性腫瘍」すなわち「いぼ」...!
わたし「えっ.....い、いぼ....」
先生「液体窒素だなあ...どうする?ここにあるけど。」
横の机に煙をまとった銀色の冷え冷えの容器とニコっとする助手の看護士。
わたし「痛い..んですか?」
先生「(顔をギュっとして) ん~~~ッッッ!!くらい痛い。」
わたし「注射くらい?」
先生「苦笑。注射3本を連続で打ったくらい。」
わたし「出直します。」
もうその後、じんましんそっちのけでイボについて調べまくった。
今まで無縁だったイボとやらの調査にとりかかる。
夫と息子が待つ家への帰り道、祖母に電話をかける。
わたし「イボできたことある?」
祖母「あるさ。なに、あんたできた?」
わたし「じつはできた。どうやって治した?液体窒素?」
祖母「そんなおっかないやつやだわ。イボコロリ塗った。」
わたし「イボコロリ... そっか、ありがとう!」
祖母「あんた、チビちゃん(息子)は元気かね?」
わたし「元気!いま帰り道だから切るね!←」
イボコロリという祖母流の医薬品も念頭に置きつつ、
駅でも、帰り道でも、自宅のベッドでも、たくさんの人のブログや皮膚科の記事を読み漁った。
それでわかったこと
・治療法は液体窒素が主流。ひどい苦痛をともなう。(だってドライアイス押し付けるようなもん!)
数回なかには数十回した挙句治らない人もいる。
・(良性の) イボっつうものは命に差し障りないくせに、治りづらく、
さまざまな民間療法を、そしてイボ取り神社という聖なる療法も存在する。
しかもイボは大きく、老人性とウイルス性の二種類にわかれ
わたしのものは恐らくウイルス性。数年前の湿疹で掻きむしったときに感染したようだ。
液体窒素を回避したい。
家族に移らないように!(特に息子)
もうどうにでもなれ。
人体実験をはじめることにした。
結果、診療から2週間。いま、数年あったイボが消えている。
これは別の記事にしよう。
じんましんは、治療をやめた。
抗ヒスタミン剤、だめだ。眠い。1日2錠を1錠に減らしても...
平日の昼間は息子とふたりきり。
このささやかな眠気と気だるさですら、お世話に差し障る。
じんましんはしばらく放置だ。
中学生のときもじんましんに悩んでいたっけ。そして高校生になる時には消えた。
わたしの場合どうやらホルモンのバランスが変わる時に発生するみたい。
思春期のときと産後(授乳期)。