Journal Hinoko Ameno

新米かあさんの記録です

発達障害の父とすごした奇妙な幼少期1

 
 
わたしの父の職業は、知的障害 発達障害 言葉がうまくでてこない子どもたちを支援するクラスの小学校教諭。
そして彼自身も発達障害ADHD(注意欠陥多動性障害)。プロが言うのだからそうなのだろう。
 
大人になって実家に帰省し居間で父と酒を酌み交わした夜に そんなものがあり 父自身がそうだということを知った。
 
 
そうだった。わたしの父は「変」だ。
あたりまえだが私が赤ちゃんのころから同居しているから 「変」ということがデフォルトで
他の家族を知り比較することができるようになった年頃に「変わってんな」ということを感じていた。
子どもの私たちからみたら可笑しすぎる彼の言動を 裏で妹と真似をし爆笑した。そして友人には内緒にした。
可笑しすぎる言葉たちをまとめ、ホチキスで製本し「パパのやばい名言集」という本もつくった。
大人になったいまは妹とLINEでやばすぎる父の言動を報告しあっている。
 
 
父のスペックをここに記す。名はタカオという。
1956年生まれ。見た目は小さくて少し太っていて「とっつぁん坊や」という言葉がぴったり。月亭方正天皇を足して割ったような風貌だ。
運動も勉強もできる彼の幼少期は「神童」と村の評判で、けれど体育の時間になると脱走し、木に登っているような学童だったらしい。
高校から実家を離れ卒業後、京都で長い大学生活を送る。(留年、教員採用試験の浪人、大学院など )
わたしの母も小学校教諭で彼より3つ年下だが、キャリアは母の方が上だ。
 
タカオは学生時代を過ごした関西が大好きで、研修の受講で関西を何十年も行き来している。奇しくも就職後に関西に住んでいるわたし、なによりも彼の孫に会いに「研修」を理由に時折我が家へやってきて一瞬で(笑)帰る。研修で関西へ行っていることなんてわたしの息子が生まれてから知ったことだ。
とにかく謎の行動が多いのだ。彼が喫煙者ということもわたしが浪人生のとき知った。実家の祖母部屋側の小庭に皿で蓋をしてある謎のバケツには水と無数の吸い殻が入っていた。
 
 
物の片付けができなくて父の隔離された部屋は資料やらカゴやらドングリやら雛人形の山になっている。父は「採集」が好きで、また職業柄、植物や石をたくさんもっている(落としている)
車の中もドングリや石やカゴを積載しすぎで、恒例の長期休暇旅行前には3人のお客さん(母、わたし、妹)を載せるため ひとりで大掃除していた。
 
彼は寝具で寝ない。少なくともここ20年は布団で寝ていない。旅館に泊まっても玄関(!)付近寝ている。
財布を所持しない、キャッシュカードやポイントカードという概念がない、お金の使い方が大振り。
臨機応変ができずパニックになり そしてすぐ激ギレ逆ギレをする笑 (しかし暴君ではないのですよ)
とにかく「野良」っぷりがすごいのだ。
 
そんな「野良」を社会の中で自分なりに制御するために獲得した努力か 才能か
字がめちゃくちゃ上手い。超几帳面。まずは鉛筆で下書きして、清書にはいる。
 
そしてなにより「人に尽くす」ことに大きな喜びを感じる人です。
 
 
他の記事にも書いているけど、わたしの母は土日でも仕事に精を出していたので平日は祖父母と、土日はタカオと過ごした。
 
父とすごす日々は楽しく奇異で恐怖でもあり、わたしの哲学に大きな影響を与えた。
彼は子どもの心をもつ人。(発達障害とは関係ない素性のひとつかもしれない)
 
 
紹介だけで長くなっちゃったな。
 
鮮烈なことばかりなので記憶に残っていて いくらでも逸話がポンポンでてくる。
北野武の「菊次郎とさき」なみにボリュームがある。
父の伝説をわたしの夫に話すたびに夫も爆笑しドン引きする。
 
そんな父と過ごした話をこのブログに気がすむまで書こう。
少なくとも あと1記事は必要。
 
こうブログに書いているわたしもADHDの傾向にあり
妹もそうで、遺伝したようだ。
 
 
皆なにか「しょうがい」をもっている。
生き物のなかの 人間の ぼんやりとした 健常者という誰かさんが つくった言葉を引用して。
 
 
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↑父
なにか提案すると とりあえず
「え、無理だよ」というww