義母をみてると子どもとは適当にやっていい 命さえあればとおもう
わたしの母は教員。父も妹も。親戚も教員多数。彼女は2人の女の子を産んだ。家庭的というより仕事熱心。土日も家で仕事をしていた。
一方、夫の母は主婦。印象としては大阪のオバちゃん しかもかなり不思議ちゃんの部類。2人の息子は、長男は自閉症 、次男はひどい喘息とアトピーをもって生まれてきた。
そんな2人の女性(お母さん)を知って、わかる。
「子どもとは適当にやった方がいい」
まず母と私の関係。
母は、
倹約家で 常識を重んじ 封建的で 感情的で 酒をよく飲み 読書が好きな人だ。未だにインターネットも使わない。
教員という仕事が天職で 大好きだ。(のように見えた) 土日も自宅で仕事をしていて、わたしは平日は祖父母と 土日は父と過ごした。
昔から母と合わない。何を言ってるのか何故怒るのか分からない。
「この人に私が思っている一言を言っただけで多分、火をつけてしまう」幼い私は本能でわかる。怒号が嫌だし、ずーっと座っているのも嫌だから 畳の目を数えてその場を凌いだ。
こちらが意見を述べてみると、案の定 激昂する。やっぱりね。反抗されたから怒るのでなく、わたしの意見が 彼女の許せないツボにがっつりマッチするのだとおもう。
同様、母も私と「合わない分からない」と未だに思っていて 数年前 わたしが入籍するとき 母と激しい衝突があって以来、お互いに察し、相互に間合いを保っている。
でも「毒親」という言葉が似合わない常識的すぎる母。わたしにとって、毒でもあり 柱でもあった。特に金銭面で なに不自由なく学生生活を送れた。
※算命学を知ったいま、それがわたしの命式の「空亡」と、更に彼女の命式の「日座中殺」があってのこと、とわかって清々しい。
そんな母は「理想の子ども像」はある。強く。以下。
大学、(できれば)国公立大へいき 就職。女とて手に職をつけて 自立。石の上にも三年。
そんな感じ。
まじ資本主義。キャピタリズム。
学校という仕組みが資本主義だから その一役を買っているだけある。
そこから大幅に逸れた、わたしは。
浪人した時 父は喜び 母は口を1ヵ月聞かれなかったっけ。
ほんの子どもにね 大人の「理想の子ども像」を 察しられる時点で、強い願望をもっているんだ。強いてないフリして、強いている。それが痛い。
一方、
夫が母親から望まれたこと。
「命があるだけで、よろし」
それだけ。
夫の兄は重度の自閉症。見た目はそこらの赤ちゃんと一緒。でも笑わない 喋らない。
夫が産まれた時、「赤ちゃんって笑うんだ」それに驚き とても嬉しかったそうな。
手のかかるお兄ちゃんがいるから、夫は幼少期に親から何も期待されず 干渉もされず 育った。
干渉されなさすぎだったのかも。
加え、小児喘息とアトピーもち。夜間救急の常連。脳炎にかかって死にかけた。原因は「寂しさ」だと医者に言われて、義母は落ち込んだ。
義母をみて、そんなシリアス風な状況があったと思えない。
楽観的で 不思議ちゃんで ミーハーで 忘れっぽくて 愛煙家で 同じ話何回もする。趣味カラオケ。金髪のウィッグをつけた強烈な大阪のオバちゃんだ。
驚きなのが 夫(ばついち) が離婚を報告したときの義母の一言「しゃーないやん。次がある。」以上。軽。
「教育」「しつけ」そんな言葉が似合わない。
なのに
夫は 国公立大の 一流大学を卒業して 有名企業へ就職。
それが素晴らしいかは知らない。でもそれは皮肉にもわたしの母が望んだ像で。
人格も神のよう。いままで出会ったことのない愛情深い人。
彼の母親に 彼がそうされたように
他者に何も期待せず、
わたしが 息子が 生きているだけでいい、と。
毎日、最高の家で 大好きな人と暮らして本当に幸せそう。
わたし、義母は苦手。独特がすぎてコミュニケーションの間合いがわからない。
でも、義母をみてると気持ちが楽になる。
わたしは夫に言う「お義母さんでも トノ(夫) と兄ちゃんと暮らせたんだから、適当でいいんだなって気持ちが楽になる」
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