発達障害の父とすごした奇妙な幼少期1
仕事を辞めようとおもった日
2017年 3年間の会社員生活を辞めた。わたしの仕事は書体デザインだった。
わたしの業務は見習いとしての研修デッサン、開発プロジェクトの一員として制作、プロジェクトリーダーとして報告と委託デザイナーと取引。
好きではないが 嫌いでもないことをする毎日。
でも嫌いなことばかりになった。
慣れない外国語でのメールのやりとり。実りがないことがわかりきっている会議。制作を進めたいのに 上層部の目を気にして机上の空論をこねまわすだけの数時間の会議。そのための資料づくり。
ライトニングテーブルに向かい
わたしは 生きることから離れている
と思った。
仕事にピラミッドがあったとして、一番上の 上の 上、、他者の生命活動に最も関わらないことをしていると気づいた。特に会議。これが生き甲斐や当本人のライフワーク、なら 「生きること」。でも自分のそれではない。生きる喜びが そこにはない。
死んだ目で会社に通って
生きた目で金曜日に彼に会いに行った。
ピラミッドの一番下がわたしの生命の喜び。
それはなんだろう
農業 漁業 林業 医療 福祉 食事 睡眠 性交 etc.
それがつづいた2月の日、
2時間の通勤電車で 友人から妊娠の報告が入った。
その日に退職の旨を上司に告げて4月に辞めた。
とりあえず、主婦?になるのかわたしは。
ピラミッドの一番下。家と住む人を活かしてる。家で使う物は全部 自分で生み出したいとすら思う。ド主婦になろう。DIYを習い 運針して日用品をつくる。そしてたまに Zelda Breath of the Wild.
妊娠は、もうずーっとしたかった。学生の頃からずっと確信していた。赤ちゃんはなかなかきてくれませんでした。泣きました。
1年待ってもこなかったので、もういいや それならそれで。農業ボランティアに申し込みをして その1週間後に赤ちゃんがいることがわかる。違う方向にベクトルをむけたから また引き返して複雑な気持ちだったよ。
赤ちゃんと生活して「楽しい」イコール「楽」ではないと知った。
身体は 会社員の毎日より しんどい、よ。
脳の使う領野が変わっちゃった。
馬鹿になっちゃったよ。
生命を 守っている。
かつ家を活かしてる。
わたしが動かなかったら 命が終わっちゃう。
ピラミッドの最下層、きた。
張り詰めて 精神もガチガチだけども。
いまからまた息子と、砂遊びができる ボールプールにはいれる 透明でレアな石を集めることができる 桑の実を食べて 横断歩道の黒色は地獄に落ちちゃうね。
life 2012
FIRST BIRTHDAY of my son.
ほんとうに今日という1日を終わらせることができるのだろうか 朝1番のオムツを替えをしていて絶望する。
広いデパートで迷子になってしまったような 果てしない不安を抱えて 目前につぎつぎに現れる必要なことがわたしを停めさせない。
その場その場で対処する。
そんな日を何百回 クリアした
息子が1さいになりました
4ヶ月検診も10ヶ月検診も問診票の「楽しい」には未だに○はつけれないけど すぎたことには「楽しかった」と言える
わたしの胸に乗ってる子
暴君なのに思慮深い男の子
彼と私の独特な日々
この匂い
陣痛でなだれ込み その場で産んで 毎日3人で寝た助産院の薄暗い6畳の部屋を思い出す
助産院でいただいたYOUNG LIVING社の石鹸
入院中はこれで手や身体を洗っていた
もったいなくてもう使えない 匂いだけ頂きます
首の後ろのにおいが好き
子守りより家守り
赤ちゃんといると 不安になるから
編み物に救われる
縫い物に救われる
家事に救われる
夫と「フレーベルの星」を作っている。
夜泣きで10分に1回おきる息子に対応しながら 無言で ふたりで。
不器用な夫が ほとんど素材をかっさらって、作ってしまった。これを作ることが いまの生き甲斐らしい笑
赤ちゃんがうちにやってきてから、こんな決まりきった作業にいつも癒される。
皿洗い 洗濯物 編み物 縫い物。
赤ちゃんは予想がつかないから、疲れる。気を張る。監視の目を光らせ。泣く 叫ぶ 突然湿疹ができたり 咳したり コンセント触ったり ホコリ食べたり。
「決まってる仕事」は 大人を安心させる。
産後の家事代行を保健師さんに勧められたけども、頼まない。家事という癒しがなきゃ、やってけない。
わたしは子守りより 「作業」をしている方が好き。
冬の強風が ヒューンヒュンいってるなか、お茶を飲んで 割烹着きて ひとりで
父から依頼された年賀状のための 版画、バレンで葉書を擦って乾かす時間。
大切な時間。
Patches since 2016.
【まんが】一時保育の日なのに疲れ切った話
保育園預けるために使った自転車の面倒を その時間で解く悔しさ。
義母をみてると子どもとは適当にやっていい 命さえあればとおもう
わたしの母は教員。父も妹も。親戚も教員多数。彼女は2人の女の子を産んだ。家庭的というより仕事熱心。土日も家で仕事をしていた。
一方、夫の母は主婦。印象としては大阪のオバちゃん しかもかなり不思議ちゃんの部類。2人の息子は、長男は自閉症 、次男はひどい喘息とアトピーをもって生まれてきた。
そんな2人の女性(お母さん)を知って、わかる。
「子どもとは適当にやった方がいい」
まず母と私の関係。
母は、
倹約家で 常識を重んじ 封建的で 感情的で 酒をよく飲み 読書が好きな人だ。未だにインターネットも使わない。
教員という仕事が天職で 大好きだ。(のように見えた) 土日も自宅で仕事をしていて、わたしは平日は祖父母と 土日は父と過ごした。
昔から母と合わない。何を言ってるのか何故怒るのか分からない。
「この人に私が思っている一言を言っただけで多分、火をつけてしまう」幼い私は本能でわかる。怒号が嫌だし、ずーっと座っているのも嫌だから 畳の目を数えてその場を凌いだ。
こちらが意見を述べてみると、案の定 激昂する。やっぱりね。反抗されたから怒るのでなく、わたしの意見が 彼女の許せないツボにがっつりマッチするのだとおもう。
同様、母も私と「合わない分からない」と未だに思っていて 数年前 わたしが入籍するとき 母と激しい衝突があって以来、お互いに察し、相互に間合いを保っている。
でも「毒親」という言葉が似合わない常識的すぎる母。わたしにとって、毒でもあり 柱でもあった。特に金銭面で なに不自由なく学生生活を送れた。
※算命学を知ったいま、それがわたしの命式の「空亡」と、更に彼女の命式の「日座中殺」があってのこと、とわかって清々しい。
そんな母は「理想の子ども像」はある。強く。以下。
大学、(できれば)国公立大へいき 就職。女とて手に職をつけて 自立。石の上にも三年。
そんな感じ。
まじ資本主義。キャピタリズム。
学校という仕組みが資本主義だから その一役を買っているだけある。
そこから大幅に逸れた、わたしは。
浪人した時 父は喜び 母は口を1ヵ月聞かれなかったっけ。
ほんの子どもにね 大人の「理想の子ども像」を 察しられる時点で、強い願望をもっているんだ。強いてないフリして、強いている。それが痛い。
一方、
夫が母親から望まれたこと。
「命があるだけで、よろし」
それだけ。
夫の兄は重度の自閉症。見た目はそこらの赤ちゃんと一緒。でも笑わない 喋らない。
夫が産まれた時、「赤ちゃんって笑うんだ」それに驚き とても嬉しかったそうな。
手のかかるお兄ちゃんがいるから、夫は幼少期に親から何も期待されず 干渉もされず 育った。
干渉されなさすぎだったのかも。
加え、小児喘息とアトピーもち。夜間救急の常連。脳炎にかかって死にかけた。原因は「寂しさ」だと医者に言われて、義母は落ち込んだ。
義母をみて、そんなシリアス風な状況があったと思えない。
楽観的で 不思議ちゃんで ミーハーで 忘れっぽくて 愛煙家で 同じ話何回もする。趣味カラオケ。金髪のウィッグをつけた強烈な大阪のオバちゃんだ。
驚きなのが 夫(ばついち) が離婚を報告したときの義母の一言「しゃーないやん。次がある。」以上。軽。
「教育」「しつけ」そんな言葉が似合わない。
なのに
夫は 国公立大の 一流大学を卒業して 有名企業へ就職。
それが素晴らしいかは知らない。でもそれは皮肉にもわたしの母が望んだ像で。
人格も神のよう。いままで出会ったことのない愛情深い人。
彼の母親に 彼がそうされたように
他者に何も期待せず、
わたしが 息子が 生きているだけでいい、と。
毎日、最高の家で 大好きな人と暮らして本当に幸せそう。
わたし、義母は苦手。独特がすぎてコミュニケーションの間合いがわからない。
でも、義母をみてると気持ちが楽になる。
わたしは夫に言う「お義母さんでも トノ(夫) と兄ちゃんと暮らせたんだから、適当でいいんだなって気持ちが楽になる」
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