Journal Hinoko Ameno

新米かあさんの記録です

離乳食から幼児の食事へ 読んだ本の影響もこめて

 

 

「子どもをじょうぶにする食事は、時間もお金も手間もかからない」幕内秀夫/ダイヤモンド社 という本を今日読んだ。そこには私が信じていた、そうなんじゃないか、と思っていたことが書かれていた。

 

 

子どもは〝食べていい色、悪い色を見ている〟〝食わず嫌いは正しい判断〟という項目だ。

〝食事でもっとも大事なことは、危険なものを口にしないことです。有毒な食品をぶつけられても大した問題ではありませんが、口にしてしまったら命に関わることさえあります。お母さんがお子さんに向かって、「まったく、この子は食わず嫌いなんだから」と叱っていることがよくあります。しかし、子どもが正しいのです。毒のあるものを口に入れてしまってからでは遅いこともありますから、食わずに判断するほうが賢明なのです。見て、匂いを嗅いでから口に入れる方が安全です。「子どもをじょうぶにする食事は、時間もお金も手間もかからない(幕内秀夫/ダイヤモンド社」より

 

息子が産まれる前、いや妊娠すらしていない時、ヒトは自ずと「いまの自分に最適な食べものは 自分が いま 食べたいもの」という信念があって、自分もそれに従ってきた。無農薬の野菜でレシピ本をみて丁寧に食事作りをするときもあれば、マクドナルドのポテトに牛乳を合わせる日もあった。ヨーロッパから帰ってくると肉の入った煮込みを食べ続け、ベトナムから帰ってくるとヌクマムとニンニクで香り立てた一皿を食べ続けた。寺に泊まったあとは精進料理をせっせと作った。

 

子が産まれ、生後6ヶ月にもなると子の食事作りをするが、息子は 自分が噛めないもの はしっかりと吐き出す。息子に吐き出される則ちそれは 今の息子の躰に不適切な食材か、不適切な調理(例えば固さ具合)のどちらか、と信じていた。

 

子どもはきっと、自分の消化器に負担をかけるような 傷つけるようなものは 本能的に吐き出すのだろう。だから息子が口にしないものは 今はやめておくか一工夫する。

をずーっと続けてきた。

 

しかし、ここ最近、教科書通りの硬さの、人参やブロッコリーを断固拒否する息子に不安になっていた。

「結局、そーめんしか食べなかったな...」

「むすこがそれらを食べないのは、わたしが息子に合わせて柔らかく煮たものばかり与えたからじゃないか」

「むすこの歯が(標準に比べて)なかなか揃わないのは柔らかなものを与えたからかも」

 

と、、、毎日3-5食の食事作りは工夫と調整の日々だった。

 

 

しかし、先月のこと..

 

1歳4ヶ月....食事を見直す きっかけとなった革命的なできごとがおこる

息子が産まれた助産院の食堂にランチを食べに車を山まで走らせた。息子は私たちの、大人の小鉢を、ペロリとたいらげた。家では食べる事なんて想像もつかなかった4cm程の固めのキンピラ人参も、キュウリの塩麹漬けもバクバク食べた。これは私にとって衝撃だった。

何故だろう?味付けがしっかりしているからか、ごま油などの風味があったからか、あるいは大人の鉢からおすそわけしてもらってることが特別な食欲を沸かせたか... (息子はスプーンで食べてくれないものでも 箸でヒナにそうするように口に運んだり、大きな計量スプーンをもたせてやると食べるということがよくある。)

 

そんなことがあって、息子の食事も実は大人と同化できる過渡期にあるんだなと気付かされたのだ。

 

 

それと同時に、「大人と一緒のものを共有できるってことは、もう離乳食めいたものを特別につくらなくてもいいんじゃないか!」と走り続けてきた私にブレーキがかかった。わたしとて、楽したいしサボりたいし、たまにはそうしている。けど猛スピードで走っている渦中はまわりは見えないのだ。

 

 Amazon で子どもの食事について、もっと楽な考えを...と そのような本を探した。

 

若杉友子さんの「一汁一菜子育て法」という本を、この幕内秀夫さんの本を知り、ざーっと読んだ。

 

幕内さんの本には、昔は子どものための食事は特に作らず、家族のための食卓から、子ども自身が食べられそうなもの(自身にとって安全なもの)を選択して食べていた。もしおかずで食べられるものがなかった場合、ごはんと味噌汁に海苔や漬物ですませそれでも十分だった。そんな内容が書かれていた。

 

私を楽にした両者の共通点は

「おやつはおにぎりで十分」ということ。「たくさんのおかずを作る必要はない(幕内さんは もはやおかず抜きのオニギリ+味噌汁のときがあっていいという)」ということ。

その他の共通点「砂糖は良くない (逆に塩に関しての制限は書かれていなかった。むしろ若杉さんは自然塩や醤油の塩気を推奨している。)」「玄米か、玄米を何割か精米した 分つき米を推奨」ということだ。

 

食事作りは 煮炊きだけでなく、献立作りにもエネルギーをつかう場合もある。

 

あとがき

息子が1歳になる手前から、私の1日の半分以上は「食事」のことで頭がいっぱいだった。朝ごはんをくずる前に用意して10時のおやつどうしよう、お昼の買い出しにいかなきゃ、15時のおやつは今のうちに仕込もう、夕飯のためのタンパク質のものを買いにいかなきゃ....その分、洗い物も増えた。

じつはこれを嫌々やっていたわけじゃない。これは私の趣であり、自然な行動だった。息子のために「栄養を摂ってもらわなきゃ」というより、「栄養を考えていること」自体が好きだった。むしろ乳幼児と長いこと遊ぶことが苦手だから、食事作りは素晴らしい息抜きになっていた。

台所で黙々とあれやこれやすること、いろいろ調べて納得して、実践することが好きだった。(柵の外の、息子には反感をかったが趣味なのだからしょうがない)

 

苦だけど苦じゃない。

 

しかしもう離乳食作りは終わりなんだな、同じ皿から食べていい時期にさしかかっている過渡期なんだな、と判明し、とたんにシンプルでいたくなった。ようやくこの時期がきたかー!と楽したくなった。

 

 

書籍ひとつとっても、採用する思想、不採用する思想は あるにしろ...

 

今回読んだ 若杉友子「一汁一菜子育て法」、幕内秀夫「子どもをじょうぶにする食事は、時間もお金も手間もかからない」は、

宙に浮いた私の下に、器をつくってくれたような。

ここまで楽にしたって、尚大丈夫なんだよ。

むしろ適切なのかもよ。と保証人になってくれたような。